10年前を振り返ってみる

この記事は、東日本大震災について書かれています。










はじめに

3.11からちょうど10年が経ちました。当時の体験を記録として残しておこうと思います。

お前は何者?

  • 震災当時は小学6年生
  • 岩手県の内陸の民

3.11当日

小学校で、卒業制作のテープカッターの色塗りをしていました。
9日にも比較的大きな地震があったので、「また同じような感じかな?」と思いましたが、途中で横揺れがめちゃくちゃでかくなったので「ヤバいな」と思いました。
揺れ始めてすぐに机の下に隠れましたが、机の脚を抑えないと吹っ飛ばされそうになりました。
この地震が起きる前に「机の下に隠れるときは机の脚をしっかり抑えたほうが良い」という話をどこかで聞いていたので、そのとおりに行動できてよかったです。
揺れてる間、この年のお正月に行った「東京ディズニーランドのスペース・マウンテンっぽいな…」と思っていました。
どんな感じの揺れだったのか、経験してみたい人はスペース・マウンテンに乗ってみるといいと思います。
揺れが収まった後は、教室を出て校庭に避難しました。
その間もひっきりなしに余震が来ていました。
このときは、津波が起きることは全く考えていませんでした。
岩手・宮城内陸地震が記憶に残っていたので、被害としては地すべりやがけ崩れの方が多いのではないかと思っていました。
校庭に避難してから、誰かがジャンプした直後に揺れたので、みんなで笑ったりしているくらいの余裕はありました。
ただ、3月だったので結構寒かったです。
防寒着を取りに校舎に戻ることはできませんでしたが、先生が全員分の防寒着をベランダから放り投げてくれたので、自分のものを探して着るという対応がなされました。
しばらく校庭で待機していましたが、保護者が迎えに来た児童は保護者と一緒に帰されていました。
保護者が迎えに来るまで児童は帰さないという対応だったようです。
その後、雪が降り出したので体育館に移動しました。
先生の一人が、当時はまだ珍しかったスマートフォンを持っており、ワンセグで情報収集していました。
私が帰ったのは、確か17:30くらいだったと思います。
通学路は、マンホールが20〜30cmくらい浮き上がったり、一部が陥没したりとかなり凸凹になっていました。
一部の家では塀が崩れるなどしていました。
ただ、電柱が倒れるとか、家が崩壊するといったことは無かったです。
この日は、家に帰ってご飯を食べて、停電で特に何もすることがなかったので19:00くらいには寝たような記憶があります。

2、3日目

確か、震災翌日から給水が始まったと思います。
給水所では、かなり長い列ができていました。
停電時の情報収集は、主にラジオでしたが、ポータブルDVDプレーヤーのワンセグ機能も少し使ったりしました。
あと、電話回線がメタル回線だったので、停電時でも通話ができました。
暖房器具は、反射式のストーブがあったのでこれを使っていました。
調理はプロパンガスだったので特に問題なくできていました。
冷蔵庫は停電で使えなくなってしまったので、保管してあったどぶろくで大人たちが酒盛りしていました。
震災後3日目には、給水所で新聞が配られていました。このとき初めて沿岸部の状況や原発の事故のことを知りました。
この頃になると、初期微動だけで震源までの距離や最大震度が大体予想できるようになってきました。
S波到達よりもラジオの「揺れています」の声のほうが到達が早かったので、ある程度身構えることができました。
2日目か3日目の朝食はフレンチトーストだったような気がします。
牛乳を買うのに少し苦労しました。

4、5日目

4日目くらいに、カレーを食べた記憶があります。
普段食べている中辛のルーが手に入らなかったので、久しぶりに甘口のカレーを食べました。
5日目に電気が復旧したと思います。
朝起きて電気をつけて無事ついたので、「おぉー」と思いました。
電気、ありがたいですね。
水道はまだ復旧していませんでしたが、お隣さんの井戸水を電動ポンプで汲み上げられるようになったので、久しぶりに洗濯をしました。

6日目以降

確か6日目に水道が復旧したと思います。
この頃になると、余震もある程度落ち着いてきて、それなりに落ち着いた生活が出来るようになっていたと思います。
小学校の卒業式は10日遅れで規模を縮小して実施されました。

震災の影響

割れたガラスの破片で足の指を切ってしまったことくらいでしょうか…
痛くはなかったですが、血がたくさん出ました。
停電時は掃除機が使えないので、スリッパなどを履いて生活したほうが良さそうです。
あと、初期微動からある程度震度を予想できるようになりました。最近は感覚が鈍ってきましたが。
地震の揺れはスペース・マウンテンっぽいと感じましたが、スペース・マウンテンに乗れなくなったというようなことはありませんでした。
中学校の修学旅行で東京ディズニーランドに行ったので乗りました。楽しかったです。
震災の長期的な影響としては、地鳴りっぽい音にかなり敏感になったことですね。
大型バスのエンジン音などを聞くと、「地震か!?」と少し身構えてしまうようになりました。
あと、3.11関連の動画などは未だに見るのに心理的なハードルがあるのを感じます。
少なくとも、能動的に見ようという気は起きないです。
震災のときにリアルタイムで映像を見なくて、本当に良かったと思っています。

おわりに

3.11の体験談は津波原発事故が多いので、内陸部での体験談を記録として書いてみました。
当時はスマホガラケーも持っていなかったので、文章だけになってしまいましたが、その時思ったことを一通り書いたつもりです。
ただ、時系列は結構あやふやな部分もあります。
教訓としては、以下の3つでしょうか。

  1. 机の下に隠れるときは脚をしっかり抑える
  2. ガラスが割れたときはスリッパ等を履いて生活する
  3. プロパンガス・反射式ストーブは便利

最後に、10年前のことを考えながら ↓ この曲を聞いたらすごくエモかったのでおすすめです。
www.youtube.com
かなり後で知ったのですが、この曲が出たのが震災から半年くらい後だったようなので、当時のことを思い出しながら聞くなどしました。
ACのCMはできればもう見たくないです。