一関高専を退職(卒業)しました

はじめに

この度、無事に一関高専を卒業したので、5年間の振り返りとしてブログに残しておこうと思います。
退職エントリっぽいタイトルですが、退職ではなく卒業です。

1年生

一関高専第51期生として、制御情報工学科に入学しました。一関高専では1年生の間はクラス分けがあります。私は1年4組でした。
5月ごろに電子計算機部に入部しました。入部直後に数合わせのような形でプロコン課題部門のメンバーになった記憶があります。もちろん、当時はプログラムは全然書けませんでした。
その後、C言語講座が始まりましたが、関数について教わったあたりで、あまり部活に行かなくなってしまいました。最初の試験の結果が芳しくなかったのも理由かもしれません。
夏休みに入ると部活の合宿が始まったので、再び部活に行くようになりました。ここで初めてパソコン甲子園に出場しました。2問くらいしか解けなかった記憶があります。
その後は高専プロコンがありました。第25回大会は地元一関での開催でした。主に、課題・自由部門の作品を見学しました。今思うと、これがきっかけでプログラミングを本格的に始めたような気がします。
このころからAndroidアプリの開発を始めました。最初は時計やストップウォッチなど、動きがあり、かつ簡単なものを作っていました。
冬頃になると、学校の課題でVisualBasicWindowsアプリケーションを作りました。それまで授業で作るプログラムはCUIばかりだったので、GUIアプリケーションを簡単に作れたのは割と衝撃的でした。
冬休みが過ぎたあたりで、授業でHTMLを使ってWebページを作りました。その時、ふと「ブラウザでカメラって使えないのかな?」と思い、調べたところ、以下の記事を見つけました。
html5experts.jp
これが、私の高専生活を大きく変えたWebRTCとの出会いです。
春休みの間は、とあるAndroidアプリを作っていました。
そんなこんなで高専1年生を無事に終え、進級しました。

2年生

4月のはじめに、Androidアプリ「シャトルラン」のVer1.0をリリースしました。
play.google.com
自分が作ったものを広く公開したのはこれが初めてでした。
そして5月に入った段階で、第26回高専プロコンのアイディアを予選に出しました。先輩方からは「目の付け所が良い」と言っていただけたのが嬉しかったです。
6月の予選結果発表でなんと予選通過していました。この時点では嬉しさ半分、不安半分でした。
7月に、少し興味があった「CANSAT甲子園」の秋田地方大会の視察に行きました。とても面白そうだったので、来年の出場を目指して活動していくことを決めました。
夏休みはプロコンのシステム開発をずっとやっていました。分からないことだらけなので、先輩方にはたくさんのアドバイスをいただきました。
第26回大会の会場は、長野県長野市でした。
出発の直前は朝の3時頃までずっとコードを書いていました。
本選前日に長野市に行きましたが、夕方に体調を崩してしまい、フラフラしながら発表練習をしました。
プロコン1日目は、朝5時くらいまで作業したあと、30分くらい仮眠をとって、また作業して会場入りしました。開会式の間は、体調不良で救護室で寝ていました。
その後、なんとか発表を終え、翌日のデモ審査等は他のメンバーに任せました。まさに満身創痍でした。
結果は敢闘賞でしたが、閉会式で来賓の方にシステムの名前を出していただけたことが記憶に残っています。
その後は、CANSAT甲子園に向けて、CANSATの設計、開発を行いました。
11月には市役所の方に誘われて、熱気球のイベントに参加しました。
市で新たに熱気球の団体を立ち上げるらしく、参加してみませんか?と誘っていただいたので、「一関・平泉黄金の國バルーンクラブ」のメンバーとして、活動のお手伝いをすることになりました。
春休みは、前から興味を持っていたWebRTCのサンプルを動かすなどしていました。
こんな感じで、2年生も無事に終えました。

3年生

新学期もプロコンのアイディア出しから始まりました。
WebRTCを利用した、スポーツ観戦用のライブ配信システムを予選に出しました。予選の結果、本選出場となりました。
その後は、CANSAT甲子園に向けて、CANSATと地上局用ソフトウエアの開発、最終調整を行いました。
7月、CANSAT甲子園東北地方大会に出場しました。
システムとしては想定どおりに動作したのですが、データ解析が不十分であったこと、改善点が多数であったことなどの理由で全国大会へは出場できませんでした。
夏休みに入ると、プロコンのシステム開発が本格化しました。
そして第27回高専プロコンの開催地、三重県伊勢市へ向かいました。このときは本選前日に十分な睡眠を取ることを目標としていて、目標が達成できたので嬉しかったです。
プレゼンは技術的な知識がある程度身についてきたこともあり、特に緊張することなく出来ました。
そして、このときの大会での、後の人生に大きく影響を与える出来事がありました。とある協賛企業の方に「リモートでアルバイトをしませんか?」と声をかけていただき、学校側の理解もあって、アルバイトを始めることになりました。
この出会いは、人生を大きく変えたと言っても過言ではありません。本当に素晴らしい出会いだったと思います。
本選の結果ですが、「パテント審査優秀賞」という結果でした。
この時点で、次回大会の目標を「公式サイトに名前が載る賞をとる」に決めました。
プロコン後は、バルーンクラブのメンバーとして、一関平泉バルーンフェスティバルのサポートなどをしました。
さらにその翌日に基本情報処理技術者試験を受験するなど、10月は忙しかった記憶があります。
春休みにはとあるIT企業に2週間ほど、インターンシップに行きました。Webシステムの開発が仕事だったのですが、なぜかLinuxシステムコールSICPLISPのお話しをされました。「自分はまだまだ勉強が足りないな」と思いました。
そんなこんなで3年生も無事に終えました。

4年生

例年通り、プロコンのアイディア出しから始まりました。
私はバルーンクラブでの経験を元に、「熱気球競技観戦支援システム」のアイディアを予選に出し、無事本選出場となりました。
さらに、学校の活動に対して補助金を出してくれる制度に応募し、3回のWebRTCの勉強会に行けることになりました。
8月に2回、11月に1回行ってきました。登壇したり、海外のエンジニアにプロダクトについて質問したり、とても貴重な経験になりました。

これらとは別に、WebRTCのプラットフォーム、「SkyWay」の正式サービス開始を記念したイベントで登壇させていただきました。
skyway.connpass.com
プロコンと並行して行った活動でしたが、とても有意義な経験でした。
第28回高専プロコンの本選は、山口県周南市で開催されました。
この頃になると、LTの経験もあり、プレゼン発表は緊張しすぎず、むしろ楽しかったような気がします。
デモ審査等も他のメンバーと協力して乗り切ることが出来ました。さらに、他高専の学生の方とも交流でき、とても楽しいプロコンでした。
結果は特別賞とパテント審査優秀賞で、目標である「公式サイトに名前が載る賞をとる」を達成することが出来ました。
さらに春休みに受けたTOEICで(自分の中で)そこそこいい点を取ることが出来ました。
おそらく4年生が高専生活の中で一番充実した1年だったように思います。
編入学の勉強を除いては…

5年生

このあたりから色々と雲行きが怪しくなってきたような気がします。
進学すると決め、受験する大学もある程度決めてはいましたが、全くと行っていいほど勉強していませんでした。
さらに、家庭環境にやや問題を抱えるようになり、鬱っぽい感じになっていた気がします。
この時期のことについてはあまり思い出したくないのでこの程度に留めておきます。
編入学の体験談についてはこちらにまとめてあります。
sublimer.hatenablog.com
sublimer.hatenablog.com
sublimer.hatenablog.com
なんとか合格はできたので良かったのですが…
ただ、このときの鬱っぽい症状は未だに治っていない気がします。
一番大きな症状は「コードを書きたい」という意欲が無くなったことだと思います。
受験には合格できましたが、それなりの代償はあったかもしれません。
とりあえず今は元気です。
夏休みが終わったあたりから卒業研究が本格化しました。
それと並行して、部活動の諸々があったのですが、そこでもいろいろと問題を抱えてしまいました。
なんとか解決しようと試行錯誤してみましたが、最終的には完全に解決できないまま後輩にあとを託す形になってしまいました。
本当に申し訳なく思っています。
今後、部活に対してどのように関わっていくかは少し考えてみようと思います。
最終的に、なんとか卒業はできましたが、5年生の1年間はやや悔いの残るものであったように感じます。
とはいえ、地元で勉強会を始めたり、応用情報技術者試験に合格したり、IoTLT一関の主催をしたり、高専カンファレンスに参加したり、CTFの運営をしたりと、成果もありました。
sublimer.hatenablog.com
sublimer.hatenablog.com

おわりに

良かったことも悪かったことも、一通り書いたつもりです。(追記するかもしれませんが…)
5年間を振り返ってみると、「80点」と言ったところでしょうか…
留年せず、最終的には単位を余らせて卒業しましたし、いくつか資格も取ることが出来ました。
中学の頃には考えられない頻度で東京に行き、想像もできないような体験もたくさんできました。
一関高専だけでなく、全国の高専生の友人が出来ました。
本当に嬉しく思います。
これらは家族、友人、先生方、先輩後輩の皆さんのおかげだと思っています。
この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
4月からは、豊橋技術科学大学3年生として、新たに大学生活が始まります。
一関高専で学んだことを糧に、勉学に励みたいと思います。
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